珍しく、同居人の書庫の扉が開いていた。
同居人は時々この部屋に篭って文字を書いているようだったけれど、僕はこの家に来てからまだ一度も入れてもらったことがない。同居人がこの部屋にいる時は邪魔をしてはいけないのだから、僕が部屋へ入ることは決してないし、閉ざされた扉を開きたいと思ったこともなかった。けれど、その部屋の扉が今日は開け放たれている。僕は好奇心を抑えられず、開いた扉から部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中は、想像していたよりもずっと狭かった。というより、巨大な書棚の列に加えて、ところ狭しと置かれた大量の物のせいで、空間が縮こまっているみたいだ。小さな明かり取りから入る光は夕焼けの黄金色だ。埃を含んだ空気にむずむずして、髭を震わせる。
ぎっしりと本が詰め込まれた書棚の前には更に本が積み上げられ、中央には丸い古ぼけたくるみのテーブルと椅子がある。書棚に立てかけられた柄長の箒にブリキのちりとり、幾何学模様の絨毯、貝殻が散りばめられたジョロ、真紅のキャンドル、飛行船の模型など実に様々な物が無造作に置かれている。統一感のない様子は書庫というよりまるでがらくた部屋だ。天井を見上げてみると、そこからはガラス球のような天体がいくつも吊り下げられていた。
テーブルの下をくぐって塗装の禿げた白いキャビネットのある壁際まで来ると、そこで僕の体にぴったりの、小さな小さな木の扉があるのを見つけた。首を傾げて見つめていると突然、後ろの書棚に立てかけてある箒が音を立てた。
「やあ、こんにちは」振り向くと、箒の柄がゆらり揺れていた。「キミはこの部屋の主の友達だね。よく知っているよ」
すると揺れる箒の隣で、箒の柄が当たったブリキのちりとりが軽やかに鳴る。「後ろのテーブルの上にバラが置いてある。扉の向こうへ行くのなら、持って行くといいよ」
僕がくぐってきたテーブルを示して箒が揺れる。次は頭上から声が降ってきた。
「キミにはしなやかな足と鋭い爪があるから、簡単に上ることができるよ」声の主は、水の波打つ青く美しい星だった。
僕は、言われた通りにサッとテーブルに飛び乗った。ちりとりの言った通り、卓上には様々な色のバラを生けた花瓶がある。しかしどのバラにも艷やかさはなくくしゃりと萎びて、色ばかりが鮮やかだ。
「僕、知ってる。これはドライフラワーと言うのでしょ」僕は誰にともなく聞く。「そうよ。でも、ただのドライフラワーではないわ」テーブルの上のランプが淡く光る。「刺はないから、心配しなくていい。触れてごらん」と低い音でキャビネット。
手前にある黄色のバラを一本取ってみると、それは僕の知っているドライフラワーに比べるとずしりと重く、かさかさと乾いた音もしなかった。注意深く触ると、しわしわの見た目に反して、花びらも茎も固くまるで巧緻な彫刻のようだ。
「これは本物のバラではないの?」
「いいや、本物のバラさ。ただ、そのバラは乾燥すると蝋になる特別なバラなんだ」別の小さな天体が軽やかに答える。「3本もあれば十分だよ」これはキャビネットの上の羽ペン。
蝋のバラだったのか、と、僕は持っている黄色の花を見つめながら納得する。それから、他には青、赤のバラを選んだ。
「ありがとう。それじゃあ、もらっていくね」
するりとテーブルを降りると、僕はいよいよ小さな扉の小さなドアノブに前足を置く。扉を開く前に、気になっていたことを小屋の住人たちに聞いた。
「ここには本がたくさんあるのに、どうして彼らは話さないの?」書棚が軋む。
「彼らは自ら語ることを嫌うんだよ」