灯台に寄り添うように作られた白壁の家の一室。朝早くから囂しく鳴いているカモメの声でヒスイは目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日がゆらゆらと体に落ちるのを、薄く開いた目でぼんやりと眺める。夏の今、薄い掛け布団は朝になればすっかり足元で丸くなっている。揺れる光を見ながら海の中を漂う気分に浸っていたが、パッと半身を起こすとカーテンを開いた。眩しい、今日もいい天気だ。
扉の向こうから、上機嫌な鼻歌が聞こえる。
「おはよう。ちょうど起こしに行こうと思ってたんだ」
白いワンピースに着替えて部屋を出ると、ほとんど白に近い銀髪を持つスラリとした青年が、食堂で朝食の支度をしているところだった。彼は、ヒスイの同居人でハルという。
「おはよう」
返事をしてテーブルに着く。並べられた朝食はいつもよりも豪華だった。たっぷりと野菜の入った琥珀色のスープ、ふかふかの丸いパン。薄く切ったマフィンの上にベーコンと、ぷるんとした乳白色の卵が乗せられたこれはなんだろう?不思議に思って、ヒスイは首を傾げてハルを見る。
「どうしたの?」
「おいしそうでしょ。昨日の魚と貝でダシをとったんだよ。こっちはエッグベネディクト。とても遠い国の料理なんだって。この間来た貿易船の商人さんが教えてくれてね、作ってみたんだ」
ふかした芋のサラダを並べながら嬉々として語るハルを、ヒスイは一層訝しげに見る。確かに目の前にある料理が放つ芳ばしい香りは食欲をそそるが、普段の朝食といえば大抵は野菜のスープだけなのだ。第一ハルは特別料理が好きなわけではない。
「なにかあるの?」
ヒスイは、この非日常と言える状況を目にして、素朴な疑問を投げかけた。準備を整え終えたハルは腰を下ろし、向かい側に座る少女をじっと見つめる。間を置いてからほんの少し目を細めて言う。
「うん。今日は特別な日なんだよ」
そう言うと、ハルはいただきますと言って食事を始めた。ヒスイはふうん、と気のないような返事をする。何が特別なのかと聞こうとしたが、それ以上語りたくないのか、ハルが食事を始めてしまったので言葉を接ぐことはできなかった。ヒスイは、きっと誰にでも話せないほどの大切な日なのだろうとひとり納得し、しかし彼の様子を伺いながら、いただきますと神妙な面持ちで手を合わせた。
早朝カモメの鳴く時分に、彼らの一日は始まる。
灯台守というのは、たまのメンテナンスと大掃除の日以外は、日暮れ近くになるまで特に仕事らしいことがないのだが、ハル達は家畜を育て野菜を栽培する半自給自足の生活を送っているため、家畜たちの世話と僅かばかりの畑の手入れなどをしていれば、すぐに太陽は南中付近に達する。
それが終わればあとは日暮れまで各々勝手気ままに好きなことをして過ごす、というのが、ここの灯台での暮らしだ。
やけに豪華な朝食を終え、ハルが後片付けをしている間に、ヒスイは宿舎と直接繋がっている円形の灯台内部へ入り、螺旋階段を使って天辺のレンズのすぐ下、燃料室へと上る。そこで夜の間に燃え尽きた燃料のかすを麻袋に詰めるのがヒスイの日課だ。灯台に使う燃料はヴァーチェのエネルギーが強すぎて毒にもなるものだが、燃えかすは植物にはいい肥料になるのだ。
鉄の二重扉を開くと、黒ずんだ煤に混じってサファイアブルーに輝く細かな砂状の燃えかすが、月光を浴びた砂漠の海ようにきらきらと光を跳ね返している。といっても、ヒスイは本の中の砂漠しか知らなかったけれど。本物の砂漠だって、きっとこんなふうに美しい。
火かき棒で煤ごと掻き出し、スコップで掬い取って麻袋に詰める。最後にハケで残りを掃き出す。火格子は少し高い位置にあるのでヒスイにはまだやりづらいのだが、この小さなサファイアの砂漠を見るために彼女は自らこの仕事を申し出た。
すぐに小さな麻袋は膨らみ、分厚い本一冊分程度の重さになる。手も顔も少し煤けてしまったが、この後の畑や家畜の世話を思えば気にならない。
それから口を縛った麻袋をかかえて、外の回廊へ出た。海風がヒスイの長い髪を巻き上げる。夏の風だ。海と空と浜辺の、鮮やかな青と白の世界がいっぱいに広がり、眩しさに一瞬目がくらむ。宙に浮いているみたいだ、と、ヒスイはこの高い空中回廊に立つたびに思った。そして、空中を歩くような足取りで、回廊をぐるりと一周する。
今立っている北側からは、ほとんど海と空しか見えない。東には白浜と、そこから木製の幅の広い桟橋が架かっている。島にやってきた船はみな、あの桟橋に停泊する。ふた月に一度やってくる商船は、次はいつだっただろうか。
南には畑の他に草原と、その向こうには森があり、なだらかな小高い丘へと続いている。茂った樹木に隠れて見えないが、森の中には以前の灯台守が建てたという、書庫のような小さな研究所が建っている。南西に見える崖の下は、ヒスイがこの島に残ると決めた日に、ハルに連れられた石灰の洞窟があるはずだ。
砂漠のために始めた仕事だったが、今では毎朝この灯台から島の隅々まで眺めることが、砂漠以上にヒスイの楽しみとなっていた。この南の孤島は、灯台から一望できるほどの広さしかなかい。
(島全体を見渡せる、これが今、自分のいる世界のすべてだ)